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-4-

 

花京院典明は夢を見た。

 

 

幼い自分が、ハイエロファントの絵を握りしめて泣いている。

あれは、母親に不気味な絵を書くのをやめろと言われた日の自分だ、と花京院は思った。

 

彼の得体の知れぬ「みどりのともだち」に、母親は戸惑いを隠さなかった。

あの頃は、まだ「自分だけが見える」という感覚がわからなくて、ハイエロファントに食事を分け与えたり、触手を使って虫をとったりして、周りにいらぬ不安を与え、結局それが花京院と彼の周囲の人たちを不幸にしてしまった。

 

泣きじゃくる幼い日の自分を慰めようと駆け寄ると、その姿は掻き消えてしまう。

 

 

場面が切り替わり、気がつくと昔通っていた小学校に花京院はいた。

「ともだち」というテーマで作文を書けと言われて、途方にくれている小さな自分が、誰もいなくなった教室に残っている。

 

(そうだ、確か書き終わるまで帰さないと教師に言われたのだった。)

 

結局、ハイエロファント以外の友達が思い浮かばず、作文が書けない花京院にしびれをきらした教師が親を学校に呼び出した。

その日以来、彼は学校の先生というものを信用しなくなったのだ。

 

 

また時間が飛んで、今度は中学生の花京院が、鏡を前に大きな安全ピンを耳朶に突き刺していた。

ハイエロファントが心配そうに痛みに耐える彼を取り囲んでいる。

 

どうしてあんなことをしたんだろう、と花京院は思った。

とにかくあの頃は、自分を痛めつけずにはいられなかったのだ。

苦痛だけが、自分が生きているということを実感させてくれていた。

 

耳から滴る鮮血に目眩を覚えると、花京院はいつの間にかエジプトの市場にいた。

 

 

太陽が沈み、夜の時間がやってくる。

空気が急に重さを増して、身体にまとわりついた。

 

心臓が破裂しそうなほど暴れだし、冷たい汗がどっとわき出る。

強い吐き気を覚えて、立っているのが精一杯だった。

 

背後から、「花京院」と甘い声がする。

白い精気のない腕が伸びてきて、花京院の顎をとらえる。

ガチガチと歯の根があわず、耳障りな音を立てる。

むせかえるような血のにおいがあたりに充満し、胃液がせりあがってくる。

花京院のおびえる様子に、男は笑ったようだった。

 

 

「怖がることはない…私と友達になろう…」

 

 

嘘だ、と花京院は思った。

友達なんかじゃあない。

この男は彼を、奴隷にした。彼の全てを粉々に壊し、奪った。

 

 

だが、と花京院は後ろを振り向いた。

そこには赤い目の悪魔が、彼を闇に引きずり込もうと手をこまねいている。

 

 

「僕はもうあのみじめな頃には戻らない。お前には、二度と屈しない!」

 

 

花京院は力を振り絞って、男を突き飛ばした。

DIOの幻影はなおも彼を襲おうとしたが、その刹那、大きな青い腕が伸びてDIOを吹き飛ばした。

 

驚いて後ろを振り返るとそこには阿修羅のような形相の承太郎がいた。

 

ああ、また承太郎に大きな借りを作ってしまった、と花京院が思うと、急に意識が浮上して、気がつくと彼はベッドの上でぐっしょりと汗をかいており、既に朝日は高く上っていた。

 

 

がばと起き上がると、時刻は10時を過ぎていて、既に承太郎の姿はなかった。

まずい、今日は列車のチケットを買いにいく日だったと、花京院はあわてて身支度を始めた。

 

 

サイドテーブルにメモが置いてあり、承太郎の字で「よく寝ていたから、起こさなかった。一階のカフェで時間を潰している。起きたら来い」とだけ書いてある。

僕に気をつかわずに、起こしてくれよ、と花京院が涙目になりながら、一階へと向かうと、そこに承太郎はいなかった。

 

拙い英語で、カフェの店員に背の高い男が来なかったか訊ねると、ついさっき出ていったという。

 

花京院は悲しい気持ちでその場をあとにし、とぼとぼ歩き出すと、今度は無性に腹が立ってきた。

 

(なんだよ、承太郎のやつ、もう少し待っていてくれれば間に合ったのに)

 

 

しかし、昨日のこともあるし、彼なりに気をつかったのもしれないな、と思い直して、花京院はすることもないので、プールサイドで学生服のまま、日光浴することにした。

 

その後、花京院そっくりのスタンド使いに承太郎が襲われていたと聞いて、花京院は自分が寝坊したことをひどく後悔したのだった。

 

 

 

旅の間中、承太郎の頭のなかは花京院でいっぱいだった。

 

もちろんDIOの呪縛に苦しむ母親を一時として忘れたことはないが、ふとした時々に彼のことを考えている自分がいた。

特にインドに向かう列車の中で見た衝撃的なチェリーの食べ方が、頭から離れなかった。

恍惚とした表情で、唾液に濡れて光るチェリーを舌で弄ぶ様は、とても卑猥で、承太郎は勘弁してくれ、と思った。

偽物の花京院に対する腹ただしさなどはどこかに吹き飛んでいた。

 

 

それでいて、アヴドゥルの死(正確には死んでいないが)に涙する花京院の姿などは、高潔でいっそ聖職者のようである。

花京院を知れば知るほど、彼についての興味がわいてくる。

 

 

いつも理知的で冷静な彼が、感情をあらわにするとき、承太郎は震えの走る喜びを感じる。

特にその感情が自分に向けられる時などは、目がくらむほどの感動を覚える。

花京院にとって特別な存在になりたいと、承太郎は思う。

 

 

だから、花京院が砂漠の真ん中で目を切られたとき、承太郎は頭を鈍器で殴られたような衝撃をうけた。

この危険な旅の最中、一度として花京院を失うかもしれないなどと考えたことはなかった。

いつも自分達はピンチを乗り越えてきたし、花京院が誰かに敗北する姿など想像できなかった。

 

目の前でだらだらと血を流し、ぴくりともしない花京院を見たときに感じたのは、壮絶な恐怖だった。

 

肉の芽を植えられて、瀕死の状態だった彼を見たときはこんなにうろたえなかった。

この1ヶ月ばかりの旅で、承太郎のなかで花京院の存在が大きく膨れ上がり、己の心の奧まった場所、柔らかく傷つきやすい部分を彼が占めていることに気づかされた。

 

 

「大丈夫ですよ、承太郎。大したことありません」

 

と目にぐるぐると包帯を巻いた花京院がいう。

 

今は何も見ることのできない彼が、口数の少ない承太郎の顔を触って、感情を読み取ろうとする。

承太郎の顎、承太郎の唇、承太郎の鼻、承太郎の頬…ぺたぺたと花京院が感触を確かめていると、手にぱたりと雫がおちて、彼は不思議に思った。

 

 

「承太郎、君…泣いてるのかい?」

 

 

花京院の手が頬を這い上がり、まなじりからこぼれる涙を拭う。

しかし泉のように次から次へと水が溢れ、花京院は驚いた。

 

 

「どうしたんだい、承太郎。泣かないでくれ…」

 

 

心配する花京院の手をとって、承太郎はそっと掌に口づける。

濡れた音と柔らかい感触に、何をされたか悟った花京院がびくりと体を強張らせて、手を引っ込める。

それを引き止めて、病院着をめくり手首、肘の内側、二の腕とだんだん体の中心へとキスを落とし、突然の出来事に動けない花京院を抱き寄せる。

 

 

花京院の肩に顔を埋め、承太郎は声も立てずに涙を流した。

肩の濡れた感触に気づいた花京院が、遠慮がちに承太郎の背中へと手を回す。

静かな病室には、二人の呼吸の音しかしない。

 

承太郎が泣きやまないので、花京院は手探りで承太郎の帽子から飛び出るクセの強い髪をそっとなでた。

 

しばらくそうしていると、承太郎が口を開いた。

 

 

「花京院」

「うん?」

「…おめーが、いなくなっちまうんじゃあねえかと思った」

「…うん」

 

承太郎が花京院を抱きしめる腕に力を込める。

 

 

「こわいんだ」

 

と絞り出すように、承太郎が言った。

 

「お前を危険な目に遭わせたくない。俺のそばからいなくならないでくれ。お前がいないと…だめなんだ。

お前じゃなきゃあ…」

 

 

震える承太郎の大きな体に、花京院は彼が自分と同じ、17歳の少年なのだと実感した。

 

花京院は彼のことを、自分とは違う世界にいるヒーローのように思っていた。

強きをくじき、弱きを助ける。誰にも負けず、誰にも媚びず、一人でもゆるぎなく大地を踏みしめる、絶対的な存在だと思っていた。

 

 

だが、違った。承太郎は神様ではなく、一人の人間だったのだ。

花京院と同じで、一人で孤独に不安と戦っていたのだ。

 

人は一人では生きていけない、と花京院は思った。

誰かが支えてあげなくちゃあいけないんだ。

 

 

「承太郎、承太郎」

 

花京院は承太郎を強く抱きしめた。目が見えないのがもどかしい。

 

「僕はどこにも行かないよ。絶対にDIOを倒して、君と一緒に日本へ帰る。この目だってすぐ治して見せる。

僕は…僕は、君の力になりたいんだ」

 

 

承太郎の体温を肌で確かめ、花京院は人のぬくもりが与える安心感に思わず泣いていた。

涙が傷にしみて、目もまぶたも燃えるように熱い。

 

(だが、生きている。承太郎も僕も確かにここに存在する。)

 

 

花京院は、この感情をきっと「恋しい」と名づけるべきなのだろうと思いながら、承太郎に頬を摺り寄せた。

 

 

 

-5-

 

両目を負傷した花京院を、1人病院に残して旅を続けるのは、できれば避けたかったが、日本にいる母親のことを思えば、そうも言ってはいられなかった。

泣き言も言わず、皆の前で気丈に振る舞う花京院の姿を見て、承太郎は自分が代わってやれたらどれほど良いだろう、ともどかしく思った。

 

別れの挨拶をすませ、皆で病院を後にするとき、さりげなく花京院が承太郎の指をにぎる。

それは一瞬の出来事で、承太郎がその手を握り返す前に、花京院はそっと指を離すと、

 

「みんなの無事を祈っているよ」

 

とけなげに微笑んだ。

承太郎は花京院の手の感触が残る己の指にそっと口づけ、名残惜しくも病室を後にした。

 

 

 

花京院と離れてから、承太郎はますます彼について考えるようになった。

花京院のことを思うと、勇気が湧いてきて、戦闘で負った傷の痛みも、疲れも吹き飛ぶ。

腹の中に雲を詰め込まれたような、ふわふわとした気持ちになる。

それでいて、寂しさがつのり、泣いてしまいそうになるときもあった。

 

DIOを倒して日本に帰ったら、承太郎は花京院に好きだと伝えようと思った。

花京院に気持ち悪いと嫌われてもいい、言わずに後悔するより、言って後悔しよう、と承太郎は決めた。

エジプトに入国してから、旅は前以上に過酷を極めたが、病院で1人、孤独と戦っている花京院を思えば辛くはなかった。

 

明日はきっと花京院が戻ってくる、と毎夜想像しながら眠りにつくと、夢に見るのはやはり花京院のことばかりで、夢の中の彼はさくらんぼを食べてうっとりしていたり、小難しそうな本を読んでいたり、DIOに嬲られたりしていた。

 

泣きながらDIOに犯される花京院は、怪物に身を捧げる神話のアンドロメダを思わせ、伏せられた睫毛には背徳的な美しさがあった。

その姿に確かに嗜虐心を掻き立てられつつも、俺はDIOとは違う、DIOとは違う、と承太郎は自分にいい聞かせながら、塵も残らないほどめちゃくちゃにDIOの幻影を殴った。

 

DIOを殴りながら、承太郎は花京院に会いたいと思った。

己の中に眠る残虐さ、残忍さが目を覚ます前に、花京院をこの腕に抱き締めたい。

そうしなければ、自分は狂う、とやけに冷えきった頭で考えていた。

 

 

 

その頃、花京院典明は、入院期間を大幅に短くするよう、スピードワゴン財団の医師にかけあっていた。

感染の危険があるから包帯をとるなという病院側の主張を無視し、暗闇になれてしまい、光を眩しく感じるようになった目にサングラスだけをかけて、彼は強引に退院した。

 

承太郎の母親の容態を考えれば、戦わずに病室でのうのうと暮らすことは、生きたまま死ぬようなものだ。

花京院は己の誇りのため、承太郎の恩に報いるため、どうしても復帰して、DIOを倒す必要があった。

痛み止めと抗菌薬を飲み、自分の体を騙して花京院は一行に合流した。

 

 

 

一週間ほど会わなかっただけだというのに、仲間の顔を見ると、懐かしさと嬉しさが込み上げて、たまらなかった。

50日あまりの旅が花京院という1人の少年を、大きく変容させていた。

以前の彼なら、仲間の存在など必要とせず、殻にこもっていただろう。

 

(頼りになるジョースターさん、真面目なアヴドゥルさん、お調子者のポルナレフ、憎めないイギー…そして、承太郎)

(ああ、僕は彼らのおかげで強くなれる。この旅に微塵の後悔もない。)

 

花京院は胸いっぱいにエジプトの乾いた空気を吸い込んだ。旅の終点――DIOの館はもう目の前であった。

 

 

 

テレンスとの戦いを終えて、合流したポルナレフから告げられた、アヴドゥルとイギーがヴァニラ・アイスに殺されたというニュースに、花京院は怒りに震えた。

 

(あいつが…)

 

まだ花京院がDIOの玩具だった頃、花京院はヴァニラに鞭打たれたことがあった。

両腕をつられ、身を裂くような痛みに悶える花京院の叫びになど耳を貸さず、ヴァニラは淡々と鞭を振るった。

 

ヴァニラにあるのは、DIOに仕える喜びだけだ。他には何もない。

DIOは屠殺される家畜のような花京院を横目にワインを楽しんでいた。

その横ではテレンスが、血もいまだ乾いていない生々しい死体――DIOの食べ残しを手慣れた様子で始末していた。

今でも鮮明に思い出されるおぞましい光景に、花京院は身震いした。

 

(だがもう、ヴァニラもテレンスもいない)

 

花京院自身も以前の彼とは違う。恐怖を乗り越え、DIOへの闘志に燃えていた。

目を切られて入院するまで、花京院はDIOを倒すためなら命など惜しくないと思っていた。

しかし、花京院の身を案じ、涙する承太郎の姿を見てしまうと、その考えがゆれた。

 

(生きてDIOを倒すことなど、できるのだろうか)

 

あれほど強かったアヴドゥルとイギーが死んでしまった。あまりにも早く、お別れも言えずに。

だが、泣いている暇などなかった。

既に一行は敵の本拠地に踏み込んでいるのだから。

 

(アヴドゥルさん、イギー…僕に力を与えて下さい)

 

飛び出していったポルナレフを承太郎に任せて、花京院はジョセフと作戦を練った。

 

「ジョースターさん、もう一度聞きます。吸血鬼の弱点は太陽と波紋…これだけですね」

「ああ、そうじゃ。しかし花京院、お前何をしようとしとるんじゃ?」

 

ジョセフの問いかけに花京院は、ハイエロファントを使った計画を話した。

 

「僕がここで、ハイエロファントの結界を張り巡らせます。半径20mも張れば、DIOの動きは手に取るようにわかるでしょう。そうして奴のスタンドの秘密を暴きます。」

「じゃが、その作戦ではお前が危険すぎる」

 

花京院はにこりと笑った。

 

「そこでジョースターさん、あなたの出番ですよ」

 

 

 

 

暗闇の中でも、奴のけぶる金髪は見間違いようがなかった。

 

(きた…!)

 

花京院は気を引き締めた。これからは一瞬の油断が命取りになるだろう。

DIOがハイエロファントの触手を踏み、エメラルドの粒が飛ぶ。

 

「DIO!」

 

花京院は吠えた。

つい半年前は、DIOの膝にすがりついて機嫌を伺っていた自分が、今は果敢に奴に立ち向かっている。

緑の宝石の幾つかが、DIOの身体に当たる。

 

しかしDIOの余裕の笑みはくずれない。

 

(くそ…!)

 

花京院が歯がゆく思った瞬間。

彼の体はすごい勢いで、後方に吹き飛んでいた。

 

「ぐあ…!」

 

給水塔へとぶつかり、腹と背が焼けるように痛い。

見ると花京院の腹からはだらだらと血が流れ、肉と脂肪がのぞいていた。

だが、遥か遠くのDIOも無傷ではなかった。

 

「波紋入りの隠者の紫を、身体に巻き付けていたか…小賢しい」

 

ブスブスと煙を上げて焼きただれた拳を忌々しげに降り下ろし、DIOはジョセフの姿を見つけると、そちらへと飛んだ。

花京院は血を失ってぼんやりと霞みがかった脳で、必死に考えていた。

 

(どうして…結界が同時に…切られたのだ)

 

花京院の作戦に穴はなかったはずだ。

 

(同時…)

 

ひやりとした。

恐ろしい考えが花京院の頭に浮かんだ。

 

(時を操るスタンド…)

 

だがそう考えると全ての辻褄があった。

階段を昇ったと思ったら降りていたポルナレフ、突然棺桶の中でバラバラにされたヌケサク、いきなり目の前に現れるDIOのスタンド、そして今の奴の不可思議な動き…

 

(それしか考えられない)

 

恐ろしさで震える自分を叱咤し、花京院はスタンドを構えた。激痛に体が悲鳴をあげる。

もはや今の花京院を突き動かしているのは、ただ気力のみであった。

 

(ジョースターさん、伝わってくれ!)

 

花京院は、凄まじい痛みに意識を失う直前、渾身の力を振り絞って、時計台に向けてエメラルドスプラッシュをうった。

そのメッセージがジョセフに届くことを信じて。

 

 

 

花京院が目を覚ますと、最初に瞳に映ったのは白い天井だった。

 

(ここはどこだろう、DIOはどうなったのだろう)

 

たまらなくだるい。体のあちこちが痛くて、指一本動かせない。

花京院が大儀そうに顔をなんとか横に向けると、そこには花京院の手を握りこんだまま、眠っている承太郎がいた。

 

ああ、と花京院は思った。

承太郎の姿を見ると、とめどなく涙が溢れてくる。鼻の奥が燃えるように熱い。

胸が締め付けられるように苦しくなり、息が震える。

この男がたまらなく愛しい。

 

花京院は弱々しく、承太郎の手を握り返した。我々は勝ったのだ。

 

「承太郎」

 

呼び掛けた花京院の声は、小さくかすれてはいたが、ちゃんと彼に届いたようだった。

ゆっくりと顔をあげた承太郎が、花京院を見て驚きに固まる。

花京院はぽろぽろと涙をこぼしながら、はにかむように笑った。

 

「…一緒に日本に帰ろう」

花京院の言葉に、承太郎は目にいっぱい涙を浮かべて、ああと子供のように頷いた。

 

 

 

-6-

 

やっぱり日本はいい、と花京院はしみじみ思った。

50日あまりで、世界中、海や砂漠、脳の中や夢の中まで旅したが、日本に戻ってくると、ああ、ここが自分の帰るべき場所なのだ、と花京院は感じた。

 

家出同然で飛び出してきていたので、父親からはこっぴどく叱られ、げんこつを頂戴し、母親は彼の顔を見るなり大声で泣き出したが、スタンドが見えなくとも、自分を心配してくれる家族がいるということは、なんと幸せなのだろう。

はじめこそ感情をむき出しにしていた両親も、この旅で一回りも二回りも成長した息子を見て、黙って彼を迎え入れてくれた。

まあ、花京院の後ろにいたガラの悪い大男と、ニューヨークの不動産王の存在が少なからず影響はしていただろうが…

 

出席日数が足りず、承太郎とそろって仲良く留年が決定した花京院は、転校二日目から承太郎とやりあい、その後50日も失踪していたという噂が広まり、クラスでは完全に浮いてしまっていた。

別にもうこのクラスメートと、来年度は一緒ではないのだから関係ないのだが、やはり居心地は悪く、ますます花京院は承太郎とつるむようになった。

 

ところで、日本に帰ってきてから、承太郎はなんだか落ち着かなかった。

いつも上の空で、とくに花京院が隣にいくとそわそわし始める。

花京院は、承太郎がタバコを吸わなくなったから、イライラしているのだろうと漠然と思っていた。

 

だから、ある日承太郎の家で、彼がまじめな顔をして大事な話があると言ったとき、花京院は一体なんだろうと考えた。

 

(二人揃って留年したから、承太郎が受験するのは来年だし、ま、まさかタバコをやめたのって、誰か女の子を妊娠させたんじゃあ…)

 

花京院が青い顔をしながらぐるぐると嫌な想像を巡らせていると、承太郎が強く彼の肩を掴んできた。

20㎝近く背の高い承太郎に見下ろされると、恐怖しか感じない。花京院はひっと息をのんだ。

 

花京院がおびえていると、承太郎が体をかがめ、視線を合わせてきた。

承太郎の瞳は熱をはらみ、きらきらと美しく輝いている。

まるで宝石だ、吸いこまれそうだ、と花京院が思うと、段々と承太郎の顔が近づいてくる。

承太郎のまぶたがそっと閉じられたのを見て、花京院はやっと何をされるのかわかり、ぎゅっと目をつぶった。

 

すぐにやわらかく濡れた感触が唇に降りてきて、花京院は思わずふぁ、と鼻から抜けた甘ったるい声を出してしまう。

少しだけ開いた口に、熱くぬめる承太郎の舌が入り込んでくる。

びっくりしてひっこんだ花京院の舌を追いかけ、からませ合い、口内を蹂躙する。

承太郎の息があまりにも近く、頭がぼうっとして何も考えられない。かっと体が熱を帯びる。

 

「はあ…あっ…ん…」

 

くちゅといやらしい水音をさせて、承太郎が離れていく。

二人の間を銀糸が伝い、花京院はそのいやらしさにくらくらした。

肩で息をしている花京院を、承太郎がそっと抱きしめ、そこでようやく、花京院は承太郎の大きな体が震えていることに気付いた。

 

「好きなんだ」

 

甘い蜜に浸されたように、とろけた花京院の脳は、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。

すき、すき…好き?

たっぷり五秒ほどかけて意味を理解すると、花京院の顔が真っ赤に染まる。

 

(じょ、承太郎が…僕を、好き?)

 

青天の霹靂だった。

大事な話があると言われて、色々と想像したが、「承太郎に告白される」というパターンを花京院は考えていなかった。

突然の事態に花京院が何のアクションもとれないでいると、

 

「気持ちわりーよな。すまねえ、もう会わねえから」

 

承太郎が苦しそうにつぶやいて、体を離そうとする。

 

「ま、まって」

 

花京院は承太郎にすがりついた。

 

「僕も…僕も、君のことが好き」

 

今度は承太郎が固まる番だった。

 

「嘘だろ花京院」

「それはポルナレフの台詞だろ」

 

花京院は思い切り顔をしかめた。

 

「俺の好きっていうのは、おめーとキスしたり、抱き合ったり…それ以上も望んでるような好きだぞ」

 

承太郎の低くかすれた声が、直接耳に吹き込まれると、花京院の脳はしびれて、頬が熱を帯びた。

しかしここでちゃんと気持ちを伝えないと、誤解を招いてしまう。

花京院は己の羞恥心と必死に闘いながら、なんとか言葉を紡いだ。

 

「ぼ、僕も…承太郎とキスしたいし、そ、それ以上のこともしたいし、もっと一緒にいたいって思う。

僕は欲張りなんだ。君のこと独り占めしたい。」

 

花京院はしゃべっているうちに、自分でも何を言っているかわからなくなっていた。

友達も恋人もいないまま、人生を過ごしてきた少年にとって、承太郎からの告白はキャパシティをはるかに超えていた。

 

「その、恥ずかしいけど、君に抱きしめられると、頭が真っ白になって、体が熱くなるんだ…

こんなこと、今までなかったのに。僕、おかしくなっちゃったのかな」

 

涙目になりながら、承太郎を見上げてくる花京院の破壊力はすさまじく、承太郎は理性を保つのに多大な努力を要した。

目を閉じてたっぷりと深呼吸してから、承太郎は答えた。

 

「おかしくねえ。俺もそうだ」

「ほんと?」

 

花京院が承太郎に身を摺り寄せてきた。

 

「承太郎…さっきのすごく気持ちよかった…もう一回キスして」

 

承太郎の理性は焼き切れた。

 

 

 

「や、脱がさないで…」

 

承太郎が花京院の服に手をかけると、彼は顔を手で覆い、弱弱しく抵抗した。

優しく理由を尋ねると、花京院は消え入りそうな声で、傷だらけできっと君をがっかりさせるからという。

 

「そんなことはねえ、おめーの体はきれいだ」

 

承太郎はそうささやいて、花京院を生まれたままの姿にし、白い肌にキスを降らせていく。

承太郎の愛撫の一つ一つに、花京院は震える吐息をこぼす。

DIOにさんざ嬲られたであろう歪な乳首を、いたわるように舌で転がすと、花京院は恥じいって顔を伏せる。

承太郎が胸を吸う卑猥な音が耳を犯し、花京院は快楽を逃がそうと強く承太郎の服をつかんだ。

 

「んんっ…」

 

こらえきれない甘い声がもれ、花京院の頬が薔薇色に染まる。

もじもじと腿をすり合わせている花京院の脚を開かせると、彼の勃ちあがったペニスから、蜜のように精液がとろとろと溢れている。

 

承太郎がそれを舐めとると、花京院の腰が揺れる。

逃さぬように承太郎は大きな手で、がっしりと彼の腰を抑えつけると、花京院のペニスを口に含んだ。

すると甲高い嬌声があがり、花京院の腹筋がさざなみのように痙攣して、承太郎の口内に白濁が溢れる。

 

「あ、あ…ご、ごめん承太郎…」

 

花京院が泣きそうな顔をして、承太郎をのぞきこむ。

青臭く粘つく体液を、承太郎がなんとか嚥下すると、花京院の顔が朱色に染まる。

 

「にげえ」

 

花京院は恥ずかしさのあまり、声も出ないようだった。

口をぱくぱくとさせ、見るからに動揺している。

 

だが、涙を浮かべた目できっと承太郎をにらみつけると、股間に顔をうずめてきた。

承太郎が好きにさせていると、器用にジッパーを歯ではさんで下げる。

勢いよく承太郎のペニスが飛び出ると、さすがに花京院も面食らったようだが、おそるおそるといった様子で、細い指をからませながら裏筋を舐めあげた。

 

「んん…ふっ…」

 

花京院が氷菓子を舐める子供のように、熱心に承太郎自身を味わう。

蛇のように動く花京院の舌と、やわらかな薄い唇が快楽を生み出して、承太郎はくぐもった声をあげた。

花京院の一房長い前髪が、内腿に触れてくすぐったい。

 

たまらなく気持ちいいが、この口淫の技術がDIOに仕込まれたものかと思うと、ちりと承太郎の胸のあたりがひりついた。

花京院が、舐めるのをやめて、その大きな口で承太郎をくわえこむ。

喉の奥まで苦しげに含む花京院に、承太郎はそんなことしなくていい、と言った。

 

「…気持ち良くなかった?」

 

花京院が泣きそうな顔で尋ねる。

承太郎は誤解している花京院の髪を優しくなでた。

 

「いや…すごくいいんだが…おめーが苦しそうなのを見るのが嫌だ。無理させたくねえ」

 

花京院の前髪をかきあげて、額にキスすると、彼の瞳がとろりと潤む。

花京院が小さな声で、君になら何されてもいいんだと呟いて、承太郎の膝の上に乗り上げる。

 

承太郎の引き締まった腹筋に、花京院はペニスをゆるく擦りつけながら、そろそろと二人分の精液でべたついた自身の指を尻へと伸ばした。

つつましく閉じている蕾に、息を吐きながら指を侵入させる。

自分を舐めるように見つめる承太郎の視線がいたたまれなくて、花京院は目を伏せて唇をかみしめながら、そこを念入りにほぐしていく。

 

普段ひた隠しにしている淫乱な部分を見られたくない、承太郎に幻滅されたくない、という思いと、浅ましい己を彼に見せつけて、乱暴に犯されたい、という相反する思いが花京院の中でうずまく。

熱に浮かされながら、花京院はこの男と身も心も一つになりたいと思った。

 

承太郎、と呼びかけながら、花京院は彼を迎え入れようとする。

久しぶりに体を割り開かれる感覚に、勝手に体が震えた。

 

ゆっくりと挿入するつもりだったのに、汗で手がすべり、重力に従って一気に奥までペニスが入ってくる。

花京院は思わず中の承太郎を強く締め付けてしまい、承太郎の眉が切なげにしかめられる。

 

「うっ…」

 

承太郎から漏れ出るうめき声に、ぞわぞわと嗜虐的な快感が花京院の背筋をかけのぼる。

 

「ああっ、ああっ、じょ、た、ろっ、きっ、すきっ、すきっ」

 

馬が駆けるように腰を振りながら、上手く回らない舌で、何かにつかれたように花京院は好き、と繰り返した。

愉悦の波は体の奥底から、尽きることなくわきいでて、承太郎は衝動のまま、花京院の乳首を甘く噛んだ。

花京院が悲鳴をあげて背をのけぞらせる。

 

もはや花京院の体は彼のものでなく、承太郎の体もまた同様だった。

彼らの肉体はどろどろに溶けて、ひとつの生命の塊になっていた。

それは愛するものを手に入れて輝く光、熱く燃える火花だった。

 

高い所から落ちた時のように、天地がわからなくなるような、体の内側と外側がひっくりかえる感覚に、花京院は長い叫び声をあげた。

その目も眩むほどの快感に抗わず、彼は四肢をがくがくと痙攣させて射精し、ほぼ同時に承太郎も淫らにうねる花京院の中に熱を吐きだした。

 

 

 

 

吐精の余韻に恍惚と目を閉じながら、ぐったりと花京院が身を預けてくる。

その重みを受け止め、汗ばむ体を承太郎が抱きしめると、腕の中で花京院がぽつりと呟いた。

 

「…きっと、僕の方が君のこと好きだよ」

 

肉の芽を取ってもらったときから、君のこと好きだった、と花京院は目を細めて笑う。

なんとなくそれが面白くなくて、承太郎が負けじと「おめーで抜いたことがある」と告白すると、花京院はあからさまにうろたえた。

 

「うそだ」

「うそじゃねーよ」

 

花京院は顔を真っ赤にさせて、そっぽを向いてしまう。

 

「こっち向けよ」

「恥ずかしいから嫌だ」

「向けって」

 

花京院の頬に手をそえて、瞳を見つめると、彼は降参したように大人しくなり、

 

「…でも、君にそこまで思ってもらえるなら光栄だ」

 

といって、承太郎の手を取って恭しく口づけた。

 

「承太郎、僕を救ってくれて、ありがとう。僕の全てを、君に捧げるよ」

 

承太郎も花京院の左手をとると、薬指の根元に唇を落とし、

 

「お前のおかげで、俺が生きてここにいる。俺の全てをお前に捧げる」

 

と約束し、それから二人は厳かに誓いのキスを交わしたのだった。

 

おしまい

 

 

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