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おれは皮表紙の手帳を見つめ、ため息をついた。

その手帳の今月のページには、至る所に可愛らしいチェリーのマークが書いてある。

 

実は、このチェリーマークがついてある日は、全ておれと花京院がベッドの上で一戦交えた日だった。

チェリーが一粒なら1ラウンド、二粒なら2ラウンドといった具合だ。

 

そしておれはため息の原因、今月の全てのチェリーの後ろに書かれたJの文字を見つめた。

そのJの文字は、二人のバトルが、全ておれからの誘いだということを表していた。

 

「…」

 

ぺら、とおれは前のページをめくる。

そこにも見事にJ、J、Jの文字。

 

「……」

 

ええいままよ、とめくった先々月のページに、やっとKの文字を見つける。

おれが長期のフィールドワークから帰ってきた日だ。

 

この日の花京院は、いつにも増して可愛らしかった。

 

帰ってくるなり彼は玄関でおれに抱きつき、胸に顔をうずめたまま小さく「抱いてくれ」と呟いたのだ。

これは衝撃だった。

あまりの破壊力に、危うくおれは倒れそうだった。

なんとか踏みとどまって彼を抱き返し、ベッドに連れて行けば、彼はおれの腕の中で切なげに体を震わせてよく啼いた。

 

しかしここ3ヶ月のうちで、花京院から仕掛けたものはこれだけだ。

別に回数が少ないわけじゃあない。

コンスタントに週2〜3回の割合で、手帳の上にチェリーは出現している。

 

ただなんとなく、最近は二人の間で「誘うのはおれの方から」という役割分担ができてしまった気がする。

一緒に食事をとり、代わる代わる風呂に入り、おれが誘い、彼が受ける。

大体おれが誘うと、体感で80〜90%の割合で花京院はこくりと恥ずかしそうに頷く。

誘いが断られるのは、翌日の朝が早いとか、具合が悪いとかそういう時だけだ。

 

うーむ、とおれは頭を捻る。

どうしたら、花京院の方から誘ってもらえるだろうか。

おれから誘うのを控えて、少し焦らした方がよいのだろうか。

 

しかしおれは大体二日に一回は劣情を催すし、目の前に恋人がいるのに性欲を我慢するなど、どうにもできそうにない気がする。

やれやれ、とひとりごちておれは手帳を胸ポケットにしまった。

 

 

 

しかし、花京院からの誘いは意外と早くやってきた。

 

ただいま、とその日もいつものように声をかけて扉を開け、おれは玄関の惨状に目を剥いた。

まず、目に付くのはぐちゃぐちゃになった包装紙――近所のカメユーデパートのものだ――、それから床に点々と散らばる深紅のバラの花弁、引きちぎられたようなピンクのリボンに、配達伝票。

 

なんだなんだ、一体どうしたと思いながら伝票を見ると、知らない女の名がある。

しかし宛先はおれだ。

はて、この名字、どこかで…とおれの脳内のパソコンはフル回転を始める。

 

ややしておれはその女の名字が、おれの通っている学部の教授と同じものだと気付いた。

そういえば、この前の土曜日の教授就任パーティーで、教授に娘を紹介されたような…

「娘も年頃なのに、恋人の一人もいなくて、親としては心配だ」とかなんとか言う新しい教授に、おれは曖昧な笑みを浮かべながらなんと返したのだったか…

花京院以外に興味のないおれは、ろくにその女の顔も覚えてはいなかった。

 

しかしどうやらその女が、おれに薔薇の花束を送ってきたようである。

受け取ったのは花京院だろう。

常ならばおれ宛の荷物など開けない彼が、品名の所に書かれた花という文字に、あるいは依頼主の女の名に激昂したのだろうか。

あの理知的で、いつも冷静な彼が、信じられない。

 

廊下にも点々と散らばった花びらを拾いつつ、リビングへ向かうと香ばしい燻製の香りがする。

訝しく思って匂いのもとをたどると、無残に焼け焦げた後に、水をぶっかけられたであろう薔薇の花束が、ごみ箱に無造作に突っ込まれている。

ビロードのような美しい重みのある深紅は、所々を黒く変色させ、歪な形に歪んでいた。

 

よく見ると、薔薇の表面にはきらきらとした緑の粒が付着している。

どうやら、燃やされて水をかけられる前に、渾身のエメラルドスプラッシュを食らったらしい。

 

いよいよ恋人が心配になってきて、おれは花京院、と呼びかけながら家の中を探し回る。

道しるべのように散らばった薔薇の跡を辿り、おれは寝室のドアを開けた。

 

「か…」

 

きょういん、と残りの音は結局声にならなかった。

今日の朝まで綺麗好きの花京院によって整然としていた寝室は、ぼろぼろにされた枕から飛び出た羽毛と、むしられた薔薇の花びらと、無数のエメラルドの粒がそこここに散らばっており、悲惨なことになっていた。

 

おれが帰ってきていることなど、とうにわかっているだろうに、ベッドの上にうつ伏せになったまま、こちらを見ようともしない恋人におれは駆け寄った。

 

「花京院」

 

随分と寂しげな肩にそっと手をかける。

花京院は黙ったままだ。

 

おれはそのままじっと、彼が口を開くのを辛抱強く待つ。

しばらくして、小さく、くぐもった声がした。

 

「ごめん」

 

君宛の荷物、駄目にして、と彼は言った。

おれはそこで、気にするな、大して知らない女だ、と言いかけて、しかしその言葉は花京院の噛みつくようなキスに全部吸い込まれてしまった。

 

「ああ、ごめん…歯が当たって、切れちゃった」

 

乱暴な口づけに、小さく血の滲んだおれの唇を、花京院が執拗にぺろぺろと舐める。

困惑したおれに構うことなく、彼は胸元を強く掴むとおれの体をベッドへと沈ませた。

 

「嫌だったんだ、君にあんな薔薇を贈る人がいるなんて」

 

やだ、いやだ、と何かに憑かれたように呟きながら、花京院はおれの体の上に乗りあがる。

おれのタートルネックを捲り、臍から胸にかけて彼が舌を這わせていく。

 

「おい、花京院…っ」

 

落ち付け、と伸ばした手は、ハイエロファントの触手によって阻まれてしまう。

いつもと別人のような、ひどく淫らで凄艶な花京院の姿にぞくりと背筋が震え、下腹に熱がともる。

熱く柔らかい花京院の舌は、別の生き物みたいに器用に動き、唾液で濡れた軌跡がてらてらと光った。

 

「君は、ぼくのものだ…」

 

そうだろ、と挑発的に見上げてくる花京院の目が、熱っぽく潤んでいて、この世のものとは思えぬほど美しい。

強い輝きを放つその紫に見惚れ、ああ、と掠れた声で答えれば、花京院が満足そうに笑った。

 

それから彼はおれの心臓の真上に唇を寄せて強く吸う。

長いリップ音と少しの痛みの後に、そこに赤く鬱血した花が咲いた。

 

「その女の人に、この痕見せて言っておいてよ…」

 

ね、と懇願のようでいて、その実「否」とは言わせない響きを纏わせ、花京院はうっそりと口角を上げる。

その甘美な毒を含んだ微笑みに気圧されて、おれが何も言えないでいると、花京院がおれの首筋に爪を立てる。

 

「でもやっぱり、君の体を見せるのは勿体ないから、見える所にも付けといてあげるね」

 

ぎぎ、と一筋の赤い線を彼は描いて行く。

短く切りそろえられた花京院の爪が辿った跡が、ぴりぴりと痛む。

 

「っ…」

 

大した痛みではないが、思わず息を詰めたおれを見て花京院が申し訳なさそうに眉を寄せる。

ごめん、と謝りながら、しかし彼は大きく口を開けると今度はおれの肩に噛みついた。

 

「これからの季節、暑くなるから、どうやっても見えてしまうだろうね…」

 

彼は綺麗に歯型のついたおれの肩を、愛しげに撫でさすっている。

独占欲が満たされ恍惚と笑む花京院は、ひりつくような危険な色香を纏っていて、それに中てられたおれは、もどかしげに身を捩った。

 

「花京院…」

 

ハイエロファントに拘束され、自由に動かない四肢を折り曲げ花京院に顔を寄せると、それに気づいた彼がキスをくれる。

先ほどの性急なものとは違う、ねっとりと濃厚な口づけを交わし、互いの体液を交換する。

歯列を割って舌を絡ませてやると、花京院はうっとりと吐息を漏らした。

 

「ん…ふ、ふぅ…」

 

何度も何度も角度を変え、ゆっくりと花京院の唇を味わう。

先ほどまでおれを翻弄していた花京院から、段々と余裕がなくなっていく。

は、と名残惜しげに唇を離すと、熱に浮かされとろりと滲んだ花京院と目が合った。

 

「…しようか」

 

頬を赤く染め、しかしいつもよりはっきりとした声で、花京院がおれを誘う。

 

「さっきから、散々してるじゃあねえか」

 

なあ、と笑って花京院が付けた痕を見せつけてやると、段々と嫉妬が収まって落ち着いてきた彼は、少しばつが悪そうに下を向いた。

 

「…ごめん、あの花を見たら、頭が真っ白になって…」

 

君を盗られるんじゃあないかと思ったんだ、と言う彼に、こっちへ来いと呼びかける。

おれからハイエロファントの拘束を解き、甘えるようにこちらへ倒れ込んできた彼を、安心させてやるために抱き込むと、花京院がそっと目を閉じる。

その横顔が随分と幼く見えて、おれは少しだけ乱れた赤毛を撫で、軽いキスを落としてやった。

 

「お前だけだ」

 

言い聞かせるようにゆっくりと彼の耳に吹き込んでやると、ゆるゆると花京院の体から力が抜けていく。

じわりと感じる彼の熱と重さに、この上ない幸福を感じる。

 

彼の腰を抱き、昂った自身をゆるく押しつけてやると、花京院が一瞬体を跳ねさせた後、それでもそろそろと手を伸ばしてくる。

花京院の細い手によって、ゆっくりと円を描くようにズボンの上からそこを刺激され、じわじわと愉悦が襲ってくる。

 

「き、気持ちいいかい?」

 

恥ずかしそうに、そして少し自信なさげに問う花京院に、ああ、と答えてやると、彼がはにかむように笑った。

その笑顔がとても貴いものに思えて、おれも目を細める。

 

花京院のワイシャツのボタンを上から何個かはずし、その隙間に手を滑り込ませて胸を寄せるように揉みながら、彼の首筋に顔をうずめる。

甘く、爽やかな花京院の香りがふわりと匂い立ち、胸の奥が苦しくなる。

あ、と小さく声を上げ、おれの服を脱がそうとしていた花京院の手が止まってしまう。

 

「花京院…」

 

止まってしまった愛撫の先を促すように名を呼べば、花京院は悔しそうな顔をしてこちらを睨む。

だがその視線さえも、おれを煽る材料の一つにしかならない。

 

はあ、と熱い息を零しながら、勃起したおれのペニスを一生懸命に扱く花京院は、いじらしく可愛らしい。

おれが彼の後孔に指をそっと差し入れた瞬間に、その手がぴくりと跳ねる。

 

「あ、あっ…じょうたろ」

 

ぐにぐに、と慣らすようにそこを揉みこんでやると、花京院が体を小さく丸める。

快楽に耐えるように、震える体が愛しい。

再び止まってしまった手を指摘すると、彼が一房長い前髪を揺らし首を振る。

 

「も、もう、だめ…手、とまっちゃうよ…」

 

いれて、と消え入りそうな声で懇願する花京院の体が、桜色に染まっている。

屹立した性器から先走りを零し、白く濡れた彼のペニスが殊更いやらしく目に映った。

 

「力、抜いてろ…」

 

彼の手を引き、おれの上にゆっくりと腰を落とさせる。

震える息を吐き、脚を目いっぱい広げてずぶずぶとおれを飲み込んで行く彼の体から、ぽたりと汗が落ちる。

 

「あ、あ…は、いって、くる…っ」

 

恍惚と空を見つめる花京院の睫毛が、細かく震えている。

均整のとれた彼の裸体をぼうっと見つめながら、自身を締めつける肉壁の心地よさに、おれはくぐもった呻きを漏らした。

 

「はあ、はあっ…あ、あ、うんっ…」

 

ゆらゆらと腰を揺らめかせ、花京院はおれの上で淫らなダンスを踊っている。

時折、彼のリズムを崩すように下から突き上げてやると、小さく悲鳴が上がった。

 

「あ、あ…っ、すごい、深いよ…奥まで、きみのが、きて、あ、あ、ああっ」

 

おれの先端が彼のいいところを掠めたのだろう、びく、と花京院の体が跳ねる。

その瞬間の、焦ったような彼の顔をずっと見ていたくて、おれは彼の腰を掴むと上下に激しく揺さぶった。

 

「あ、いやっ…きゅうに、やだ、やっ、だめ…っ」

 

ああ、ああ、と泣き叫ぶ彼の瞳から、宝石のような涙がぽろぽろ零れ落ちる。

おれはそのきらきら光る結晶に魅せられて、彼の頬を舐めあげた。

塩辛い、愛の味がする。

 

「や、じょう、たろっ、いっちゃう、あ、あ、ああっ」

 

ぎゅう、とおれの腹に爪を立ててしがみつき、彼が頭を振る。

綺麗に巻かれた前髪が揺れ、炎のようだ。

律動に揺れる視界の中で、花京院の白い身体だけがぼうっと浮かび上がっている。

 

おれも、と彼の真っ赤な耳を噛んで囁くと、花京院の首ががくんと後ろに倒れる。

途端、弓なりにのけぞった花京院の体が不規則に大きく跳ね、鍛えられた腹筋が波打つと、赤く熟れた性器から勢いよく白濁が跳ねる。

 

「く…っ」

 

瞬間、自身に襲い来る、搾り取るような内壁の動きに翻弄されて、おれも唸りながら彼の最奥に熱を吐きだした。

 

 

 

かりり、と手帳にペンを走らせ、おれは今日の日付にチェリーを三粒と、その後ろに小さくKと書き加える。

ほう、とため息をつきながら彼のイニシャルを指でなぞると、後ろから声をかけられた。

 

「承太郎、なんだか嬉しそうだね」

 

どうしたんだい、とおれの顔を覗きこむ恋人から、さりげなく手帳を隠しながら、おれは誤魔化すようにキスを送った。

 

 

おしまい

 

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