むかしむかし、ある国に花京院典明という王子様がいました。
その国は、エメラルドの採掘が主な産業である、小さな国でしたから、花京院王子は自国の繁栄のために、大きな帝国の王のもとへと嫁ぐことになりました。
それはいわゆる政略結婚というもので、花京院王子は、相手の顔も見たことがありません。
「すげえ大男だって聞くぜ」
と王子の友人の騎士は言いました。
「なんでも100年以上生きてる吸血鬼を、一人で退治したってよ」
そいつの方が化け物なんじゃあねえの、と騎士は青い顔をします。
「根はいいやつなのだが」
と王宮お抱えの占い師は言いました。
「一旦怒ると、手がつけられないところがあってな」
私も一度、死ぬ目にあったことがある、と占い師は眉間にしわを寄せました。
隣にいる白黒の犬も、ふんと鼻を鳴らします。
他にも気に入らない家庭教師を殴っただの、誘拐しようと襲ってきた過激派組織を返り討ちにしただの、相手の王に対する恐ろしげな噂は幾つもありましたが、花京院王子は「自分が両国の架け橋になれるなら」と結婚を受け入れることにしました。
結納品として、自国の特産品であるエメラルドの対の指輪を持ち、大事なものだけを小さな鞄に詰め、花京院王子は馬車に揺られて母国を後にします。
どれほど恐ろしい男なのかはわからないけれど、夫婦になるのだから仲良くできたらいい、王子はうとうとまどろみながら、そんなことを考えていました。
ガタン、と馬車が止まる振動に、王子は目を覚ましました。
どうやら旅の疲れが出て、眠ってしまっていたようです。
ぼんやりとした王子の意識はすぐに、馬車の向こうにいる大男を見て覚醒しました。
婚礼用の真っ白な衣装に身を包み、揃いの白い帽子を被ったその男こそが、王子の結婚相手なのでしょう。
「花京院典明王子」
と大男は王子の名を呼びました。
「遠路はるばる疲れただろう、少し休んだらすぐに晩餐会があるが、大丈夫そうか」
さりげない仕草で、王子が転ばないように支えながら、男は尋ねます。
はい、と答えようとして、花京院王子は帽子の下からチラリと見えた美貌に息を飲みました。
男の瞳は、王子の母国でよく採れるエメラルドに似て、大変美しかったのです。
「あの、えっと、その…大丈夫です。あ、ありがとうございます…」
王子はつっかえながら、なんとかそう答えます。
確かに、相手は噂の通りの大男でしたが、これほど美しいとは聞いていなかった王子は、倒れそうになりました。
「そうか?ふらついているようだが…」
ふむ、と男は少し考え込んだ後、花京院王子を横抱きにしました。
あまりのことに、顔を真っ赤にしてわあわあ騒ぐ王子を気にもせず、男はぬしぬしと城に向かって歩きだしてしまいます。
「おれのことは、承太郎と呼び捨てにしてくれて構わない。おれもお前のことは、花京院と呼ばせてもらう」
とその男――承太郎は言いました。
何が何だか分からぬままに、花京院王子は王と指輪を交換し、晩餐会で帝国の王族と挨拶を交わし、城のバルコニーから夫とともに帝国の民に手を振りました。
晩餐会の料理も、婚礼服も、部屋の調度品も、帝国風ではなく自国のそれによく似た物ばかりで、王子は驚きました。
愛のない政略結婚だとばかり思っていたものですから、相手の王がこれほどまでに自分を気にかけているなど、考えもしなかったのです。
「じょ、承太郎様」
大きなベッドの上で、遠慮がちに花京院王子が呼びかけると、彼の夫は承太郎でいい、と苦笑しました。
「じゃあ、承太郎…どうして君は、こんなにぼくに、よくしてくれるんだい」
緑の縞模様の、柔らかい寝着を着た王子はそう尋ねました。
「君は、ぼくの顔もみたことがなかったはずだろう」
すると、急に承太郎の眉間にシワがよりました。
すぐに花京院王子は、自分が何かまずいことを言ってしまったことに気づきましたが、もうどうしようもありません。
獣のように喉を鳴らした夫に、衣服を脱がされて、王子はじたばたと暴れました。
「や、やだっ…承太郎っ、やめてくれ、お願いだ、こわい…っ」
しかし王子が懇願しても、承太郎の手は止まりません。
体をひっくり返され、大きな体にのしかかられる恐怖に、花京院王子は震えました。
「あ、あ、ああっ…や…」
承太郎の大きな手が、がっしりと王子の小ぶりな尻を掴みます。
そこを割り開かれ、狭間に何か冷たい液体をかけられる感触に、王子は悲鳴を上げて、強くシーツを握ることしかできません。
ぎゅうと目をつむり、枕に顔を押し付けて王子が声をかみ殺している間、承太郎は何度も「花京院」とうわごとのように繰り返し、王子の上で切羽詰まったように体を動かしていました。
破瓜の痛みに気を失う直前、花京院王子は幸せな記憶を思い出していました。
王も妃もご多忙であったために、小さいころの王子はいつも一人ぼっちでした。
しかしある年の春、王宮の庭で写生をしていた王子の前に、一人の男の子が現れました。
「なあ、お前一人なのか。一緒に遊ぼうぜ」
今となっては、顔も名前も思い出せませんでしたが、首筋に星型の痣がある、その男の子のことを、王子はすぐに大好きになりました。
仲良くなった二人は、虫を捕ったり、魚を釣ったりして遊び、王子の毎日は急にきらきらと輝きだし始めました。
しかし、楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまいます。
母親の病気を治すため、空気のきれいな王子の国にやってきたというその男の子は、夏の始まりの日にこう言いました。
「母さんのために、今度は北の涼しい国に行くことになったんだ」
男の子はお別れの日に、クローバーの花で作った指輪を王子の左手の薬指にそっとはめました。
「絶対、迎えに来るから」
それまで待っていて、という男の子の言葉に、ぱっちりとした大きな瞳いっぱいに涙を溜め、花京院王子は頷きました。
馬車に揺られて旅立っていく男の子の姿が、次第に小さく、そして丘の上を過ぎて見えなくなっても、王子はいつまでもいつまでも手を振り続けました。
あれからもう、10年近くの歳月が流れていましたが、王子は今でもあの約束を覚えていました。
しかし今の自分は、遠い異国で、昨日まで顔も知らなかった男に抱かれている――その事実に王子は泣きそうになりました。
悲しい気持ちで、自分を抱き込んで眠る男の体を押しのけようとして、王子はその手をはたと止めました。
なぜなら、男の肩にきれいな星の形の痣があったからです。
まさか、と花京院王子は思います。
昨日、自分の「顔も見たことがないのに」という発言のあとに、急に承太郎の機嫌が悪くなった理由に気づいて、王子は息を止めました。
「じょ、承太郎…」
ゆさゆさ、と王子は夫を揺り起こします。
「君は、あのときの男の子だったんだね。あの、ぼく、ごめんなさい…」
約束を、守ってくれたのに、と王子が言うと、がばと承太郎に抱きしめられました。
「おれこそすまねえ、花京院…かっとなって、お前にひどいことしちまった」
許してくれ、とこの強大な帝国の王様が頭を垂れるものですから、花京院は呆気にとられてしまいました。
王子の体にすがりつき、しかられた子供のように何度も必死に謝る承太郎に、王子は体の痛みも忘れて、くすりと笑ってしまいました。
「いいよ」
王子の言葉に、王様はおそるおそる顔を上げました。
「ちゃあんと迎えに来てくれたから、許してあげよう」
でも、今度は優しくしてくれよ、と言うやいなや、王子の体は再びベッドへと沈められてしまいます。
「花京院」
自分に覆いかぶさって、熱っぽい声で名前を呼ぶ夫に微笑み、その広い背に王子は腕をまわしました。
「好きだ…あの時から、ずっと好きだったんだ」
掠れた声で、懺悔するように呟く承太郎の癖の強い髪を、優しく撫でてやりながら花京院は言いました。
「ぼくも、ずっと、君を待ってたんだ」
思いだすのが遅くなってごめん、と王子が謝ると、王様は少し拗ねたように、本当だぜと言いました。
「だがな、花京院。これからは、ずっと一緒だから、問題ねえ」
お互いに左手の薬指で輝く、エメラルドの指輪に口づけ、二人は永遠の愛を誓いました。
めでたしめでたし