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情事の後の気怠げな雰囲気を纏ったまま、花京院がしなやかな仕草で、額に落ちかかった前髪をかき上げた。

その艶やかな色気に、先ほどまで散々彼の体を貪っていたというのに、おれは再び見惚れて息を呑む。

 

「ね、今日花火大会の日だろう。一緒に行かないか」

 

適当に買い食いしながら、君と花火が見たい、と言う花京院の頬は行為の余韻を残して、未だ上気したままだ。

出会ったばかりの時とは違う、20年あまりの時を経て成熟した大人の雄になった彼は、うっすらと傷跡の残る瞳で、じっとおれをみつめた。

 

「いいぜ」

 

と囁き、甘えるように彼の首筋に顔を埋めると、セックスのせいか近頃の暑さのせいか、花京院の体はいつもより温かい。

じゃあ着替えなきゃあな、と言いつつも花京院も離れがたいのか、全裸のままおれの背に腕を回し、べたべたになっちゃったから浴衣にしようかなと笑っている。

 

「着せてやる」

 

じゃれるように布団の上でごろごろと縺れ合いながら、持ってきてくれと頼めば、ハイエロファントグリーンが2人分の浴衣と、新しい下着と、ついでにタオルとミネラルウォーターを運んできた。

全く便利なスタンドだ。

 

そのままでは流石に着せられないので、仕方なく体を起こして、浴衣に袖を通させる。

花京院は腰が細いせいで、いつも帯が随分と余ってしまう。

ちゃんと食べろ、いや食べてると軽口を叩きあっているうちに、10分ほどで浴衣を着せ終わる。

 

おれも手早く、花京院よりは幾分適当に浴衣を着ながら、いつものことだがセックスの後の花京院の切り替えの早さに驚く。

ぴしりと服を着て乱れた髪を整えると、彼はしゃんと一本芯の通った、凛とした佇まいになる。

きりりとつり上がった眦に残る、ほんの少し酔ったような紅だけが、清廉な彼に匂い立つような色気を添えている。

 

「恰好いいねえ、承太郎」

 

いなせだねえ、と微笑む花京院の耳元のピアスをくすぐってやると、彼は嬉しそうにおれの手に顔を摺り寄せた。

行くか、と声をかけると花京院は菫色の瞳を子供のようにキラキラと輝かせて、うんと答えた。

 

 

 

港沿いの祭り会場には、天候に恵まれたせいもあってか、人がごった返していた。

はぐれたら大変だと、いつもなら恥ずかしがって絶対にしないくせに、花京院がおれの腕に自分の腕を絡ませる。

浴衣の袖からちらりと覗く、彼の細い手首の抜けるような白さに、おれは眩暈を覚える。

 

2人揃っての休みに浮かれて真昼間から何度も抱き合ったせいか、腹が減ったとこぼす花京院が、早速屋台に吸い寄せられていく。

浅黒い肌の異国の男に小銭を払い、彼はパエリヤとビールを二つ受け取った。

 

「昔はなかったよねえ、パエリヤ屋なんて」

 

おれは細やかな泡がたっぷりと浮かんだビールに口をつけながら、几帳面そうにエビの殻を剥く花京院の細い指先を見つめた。

つい一時間ほど前までは、切なげにシーツを握りしめていた指だ。

 

「あっ、承太郎。空きっ腹にビールはよくないぞ、ちゃあんとご飯も食べないと」

 

母親のように眉を寄せて小言をいう花京院に少し意地悪をしたくなって、おれは彼に向かって口を大きく開けた。

すると花京院は目を瞬き、それからじわじわと顔を赤くする。

あ、と餌をねだる雛のようにせっつくと、彼は素早く辺りを見回し、誰もおれたちに注意を払っていないことを確認してから、黄色く染め上げられたパエリヤをスプーンに取っておれの口へと運ぶ。

 

「うまい」

 

少し冷めてはいるが、サフランの独特の香りが鼻腔に抜ける。

海と磯の風味が舌の上で広がっていく。

 

もぐもぐと咀嚼しつつ感想を述べると、花京院はやれやれといったような顔をして、綺麗に剥かれたエビをつまんでおれの口に寄せた。

 

常にはない彼の大胆さに驚きつつ、差し出された指ごとぱくりと咥え、しゃぶり、名残惜しげに離してやると、花京院の指が去り際にそっとおれの唇をなぞる。

その瞬間の彼の顔が、寝室で二人きりの時にしか見せない、夜の匂いを孕んでいるものだからおれはどきりとした。

 

「やると思ったよ」

 

と笑う彼に、

 

「それは期待していたということか」

 

と返してやれば、花京院は頬を染めて悔しげにおれを睨んだ。

 

「…そうだよ、ぼくは君に心底惚れ込んでいるのさ」

 

君だってそうだろうけど、と小さな声で呟いて、彼はふいと目をそらしてしまう。

赤く染まった耳に、ああ、その通りだと返せば、花京院の口角がほんの僅かばかり上がる。

彼はそれを隠すように、慌てて立ち上がるとおれの腕を引いた。

 

「もう、花火が始まっちゃう。行かないと」

 

早く、と急かされておれはやれやれと心の中で呟きながら、花京院を追った。

 

 

 

子ども連れや、恋人同士で混み合う埠頭で花京院と花火を待つ間、おれは目の前のカップルをぼんやりと見つめる。

幼さの残る顔立ちは、おそらく高校生くらいなのだろう。

おれと出会ったころの花京院も、こんな風だっただろうかと考えながら、あれから随分と時間がたち、お互い年をとったものだな、と改めて思う。

 

「どうしたんだい。食べたいのかい」

 

考え込んでいるおれを見て、途中で買ったチェリー味のかき氷をさくさくと熱心にかき混ぜていた花京院が、蛍光ピンクのシロップがかかったかき氷を寄こした。

いや、と言いかけてやはりやめ、大人しく冷たいそれを口へ運ぶ。

合成されたチェリーのいかにもな味がして、眉をしかめると、花京院はこの安っぽい味がいいんだよ、と笑った。

 

「ねえ、昔ぼくたちが高校生の頃、一緒に花火大会に行こうって言っていたのに、台風が来て中止になったこと覚えてるかい」

 

花京院も前列の若い恋人たちを見て昔を思い出したのか、突然そんなことを言い出した。

ああそんなこともあったな、と彼に答えれば、花京院はふっと微笑む。

 

「悲しくて泣きだしたぼくに、君、線香花火持たせてくれてさ。あの頃から、承太郎は優しくて、恰好よくて、ずっとぼくのヒーローだよ」

 

今年も君と一緒にお祭りに来られてよかった、と嬉しそうな花京院の瞼にうっすら残る傷跡に、今彼が生きておれの隣にいる幸福を改めて感じる。

 

「花京院」

 

ん、と花京院がこちらを振り向いた瞬間、花火のドンという音が腹の底に響く。

開場中の人間が空に目を向け、歓声を上げる中、おれは彼の顎を取り短く口づけた。

 

「愛してる」

 

一緒にいてくれてありがとう、と告げれば花京院は目を見開いた後、ふにゃりと笑った。

 

「ぼくこそありがとう」

 

先のことなど誰にもわからない。

だが十年先も二十年先も、彼がおれの隣にいればいい。

また来年も、その次も花京院と花火を見に来られたらいい。

 

花火の金の光に照らされた花京院が、綺麗だねと呟くのを、この上なく愛しく思いながら、おれは彼の熱を感じたくてそっと花京院の手を握った。

 

 

おしまい

 

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