その日は朝からどんよりとした曇り空が広がっていた。
テレビの気象予報士は、低気圧が近づいており、今後更に天候が悪化することを淡々と告げ、承太郎はため息をついた。
今日は地域の祭りにあわせて、花火大会が予定されているのだ。
一週間ほど前、照れ臭そうな様子の花京院に電話で、よかったら一緒に見に行こうと誘われてから、承太郎はこの日を心待ちにしていた。
窓の外を見ると段々と風が強まり、庭の木があおられてしなっている。
ぽつりぽつりと雨も降りだし、道行く人が傘をさしはじめた。
この調子だと、祭りも花火もさんざんなことになるだろう、と承太郎は思った。
憂鬱な気持ちのまま、とりあえず承太郎は紺色の浴衣を身につけることにした。
花京院と祭りに行くと伝えると、母親がにこにこしながら、どこからか出してきたものだ。
帯を結びながら、承太郎は花京院のことを思った。
大学に入学した承太郎と、今年受験を控える花京院の予定はなかなかあわず、今日も数ヶ月ぶりの逢瀬となるはずだった。
ふう、と2度目のため息をつくと、にわかに叩きつけるような激しい雨音が部屋の中まで響く。
どうやら本格的に雨が降りだしたらしい。
承太郎が外の様子を見に行こうとすると、母親があわてた様子で彼を呼びにきた。
「承太郎!花京院君が来てくれたんだけど、雨に降られちゃったみたいで、びしょ濡れなのよ」
着替えを用意してくるから、タオルを渡してあげてね、という母親におざなりに返事をして、承太郎は玄関へと急いだ。
そこには、髪から服からずぶ濡れになった花京院がいた。
承太郎の姿をみとめて、曖昧に微笑む花京院の顔が青白い。
「風で傘が壊れちゃったよ」
と肩をすくめる彼の体が、寒さで小刻みに震えている。
承太郎はすぐにタオルでがしがしと花京院の髪をふいた。
頭を揺さぶられて、花京院が小さく呻く。
「冷てえだろ、早く入れ」
「濡れちゃうよ…靴のなかまで水浸しなんだ」
「いいから」
遠慮する花京院を無理やり家の中にいれる。
困ったような顔をしながらも、律儀に靴を揃えてから後をついてくる彼の礼儀正しさを、承太郎は好ましく思った。
「とりあえず風呂入れ、あとで着替えをもっていく」
半ば強引に花京院を浴室へ押し込むと、承太郎は彼の濡れた服を洗濯機に突っ込んだ。
手持ちぶさたでタバコを吸いながら、花京院が出てくるのを待つ。
煙を輪の形に吐き出して、花火は中止だろうなと承太郎はぼんやり思った。
中止でなくとも、DIOとの戦いで大ケガを負った花京院を、この雨の中、外に連れ出す気にはならなかった。
程なくしてシャワーの水音が消え、ホリィが用意した承太郎が中学の頃の浴衣を着た花京院が出てくる。
その頬が心なしか赤い。
もじもじと、何か言いたそうにしている花京院に、どうしたと承太郎が聞くと、消え入りそうな声で、
「し、下着が…ないんだけど…」
と花京院が言った。
「あ」
しまった、と承太郎は思った。
彼の服は余さず洗濯中だ。
ホリィもさすがに下着までは息子のを貸さないだろう。
「…俺の、使うか?」
と承太郎が聞くと、花京院はちぎれそうな勢いで、首をぶんぶんと振った。
彼の耳までが燃えるように赤い。
「買ってくるか?」
「こんな雨のなか、君を使いっぱしりになんかできないよ…」
つぶやいて花京院はうつむいてしまった。
しばしの沈黙のあと、
「まあ、もう花火には行けねーだろうから、そのままでいいんじゃねえか」
と言うと、花京院は恨めしげに承太郎を見つめた。
花京院の震える睫毛にはきらきらと水滴が浮かんでいる。
「…泣いてんのか」
花京院は答えない。
「すまん、やっぱり買ってくる」
と承太郎が出ていこうとすると、花京院が承太郎の浴衣をぐいと引っ張った。
うお、とバランスを崩して、承太郎が花京院に倒れかかる。
「違う!いや、パンツがないのは嫌なんだが…そうじゃなくて、君と花火が見に行けないのが…悲しいんだ」
ずっと楽しみにしてたんだ、と花京院はぼろぼろと涙を溢す。
承太郎は子供のように泣き出してしまった花京院を前に、おろおろと何もできずにいた。
花京院がこんなふうに、感情をあらわにしたことなど久しくなかったからだ。
とりあえず花京院の背中を撫でながら、彼が落ち着くのを待つ。
承太郎の浴衣の胸の辺りが花京院の涙を吸って、じわりと熱くなる。
しばらくそうしていると、パタパタとホリィが走ってくる。
泣き顔をホリィに見られたくないだろうと、さりげなく承太郎はその大きな体で花京院を隠した。
「承太郎、町内会の人が来て、今日の花火中止ですって」
「だろうな」
暗い顔の承太郎に、ホリィはにっこりと笑った。
「でも、そんなこともあろうかと、ママ、花火を買っておいたわ。線香花火くらいなら、雨が弱まった時に出来るんじゃあないかしら」
なんとか泣き止んだ花京院を承太郎は縁側へと連れ出した。
大きく屋根がせりだしているので、多少雨が降っていようが、濡れる心配はなかった。
「ほれ、花京院。機嫌直せ」
線香花火を彼に渡し、承太郎は風避けになってやる。
目を赤く腫らした花京院が、ぱちぱちと火花を飛ばす線香花火をじっと見つめている。
真っ赤に燃える花火の先端は、小気味よい音をたてながら段々と小さくなり、やがてぽとりと地面に落ちた。
ほう、とため息をついた花京院が承太郎を見つめる。
「ごめんね」
花京院のすみれ色の瞳が揺れている。
「本当は花火大会なんて、どうでもよかったんだ。ただ、君と一緒にいる口実が欲しかっただけで」
花京院は2本目の線香花火を取り出すと、承太郎に持たせて火をつけた。
それは橙色に燃えて、花京院の顔を美しく照らす。
承太郎はたまらなくなって花京院を掻き抱いた。
その振動で線香花火が落ちて、辺りが暗闇に包まれる。
思わず「あ」と呟いた花京院が愛しく、承太郎はそっとその唇をふさいだ。
おしまい