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~焼肉編~

 

 冷麺が食べたいという花京院の言葉はつまり、焼肉を食べに行こうという意味の合言葉である。おれはすぐに家から歩いて五分ほどの、家族経営の炭火焼肉の店が空いているか電話で確認し、大丈夫だったことを彼に伝えてやる。花京院はおれの返事を待たずに、もう既に気に入りの緑のコートを着て、いつでも出発できる準備を済ませていた。

 まだ雪の残る道路を彼と手を繋いでそろそろ歩きながら、おれは彼との共同生活がもうそろそろ十年になることに思いを馳せた。焼肉にしてもそうだが、彼と暮らすうちに二人の馴染みの店ができ、生活のリズムができ、大して説明しないでも色々とお互いの意図や考えが通じるようになって、恋人というより夫婦のようだな、とおれは思う。花京院はというと、おれの横で小さく歌を口ずさみながら、機嫌良さそうにしていた。おれはもう少し店が遠ければ、この幸福な時間をもっと長く味わえるのに、と少し残念に思った。

 大した時間も経たずに目的地に着き、カラカラ、と焼肉屋の扉を開けると、炭と焼けた肉の香ばしい匂いがすぐに襲ってきた。まだ早い時間だというのに、テーブル席はもうほとんど埋まっている。顔見知りの店主は、おれたちがあまり騒がしいのを好まないのを知っているからか、入り口から一番離れた、奥の畳の席に通してくれた。

「君が電話してくれて助かったよ、あやうく満席でしたね」

 と花京院はひそひそ囁き、大してメニューも見ないでいつも通りの品々をスラスラと注文した。上カルビ、牛タン塩、鶏皮、ラム、サガリ、冷麺、ビピンパ、それに枝豆とビール二つ。おれもそろそろ、そらんじられる気がしてきた。

 肉が来るまでの時間を、花京院は枝豆を食べながらビールをちびちび飲んで待つのが好きらしい。ジョッキの表面にびっしりと汗をかいた、きめ細やかな泡がたっぷりのったビールで乾杯し、おれと花京院はそれぞれに一週間分の仕事の愚痴を言い合った。

「でも、時々仕事辞めたいな、とも思うけどさ、君とこういう時間を過ごすために働いている節もあるんだよね」

 花京院はアルコールのせいかほんの少しいつもより饒舌に語り、おれは彼のほんのり上気した薄紅色の頬を見つめながら、彼の一等好きな牛タンを時折網の上でひっくり返した。

「一生懸命働いて、お金をもらって、君とおいしいご飯を食べてほっと一息つくとね、また頑張れるんだよ」

 好きだよ、と花京院は隣の席の客に聞こえないように、小さな声でぽつりと呟いた。一緒にいてくれてありがとう、とも。だからおれは堪らなくなって一瞬だけスタンドで時を止め、うっすらと開いた薄く柔らかな唇に、己のそれをそっと重ねた。そして時は動き出す。

「……今、何かしただろう」

 唇にそっと残った熱を追いかけるように、花京院は広く大きな口を手で覆うと、恥ずかしそうに耳を真っ赤に染めた。おれは素知らぬ顔で程よく焼けた牛タンを彼の皿にとってやると、さあな、と呟いた。



 

~寿司編~

 

 承太郎が寿司を食べに行こうと言う時はつまり、回らない寿司を食べに行こうという意味で、ついでに言うと日本酒でも飲みながら静かな店でゆっくり過ごしたいという意味も含まれる。ぼくはだから、地元の一部の人間しか知らない隠れ家的な寿司屋に電話をかけ、十席ほどしかないその小さな店に無理を言って、なんとか二人分の席を確保したのだった。

「カウンターの端のちょっと狭い所らしいけどいいかい」

 と問えば、別に構わねえぜ、と返事が返ってきた。徒歩では少し遠い店だが、飲んだらどうせ帰りは運転できなくなるのだから仕方ない。ぼくと承太郎はあたたかいコートを着込み、色違いのマフラーをし、ブーツを履いてから、こっそり手を繋いで、解け始めた雪でぐしゃぐしゃの道路を歩いた。

 空腹と寒さに震えながら歩き続けるのは辛いが、耐えた分だけ料理と酒がおいしくなるのをぼく達は知っている。たわいもない話をしながら、ぼくと承太郎は頑固でこだわりの強い大将が一人きりで寿司を握っている小さな店へとやってきた。

 こんばんは、とのれんをくぐると、清々しい檜と酢の匂いがする。店内はぼくが予約した二席以外はすべて埋まっていて、気のいいおかみさんは注文をとったり、料理を運んだりと忙しそうに動き回っていた。

 ぼくと承太郎はカウンターの一番奥の席に座り、とりあえず熱燗とお猪口を二つ頼んだ。この店の凄い所はメニューが大将のおすすめコース一つしかなく、客は自分の好きなものを注文することはできず、ただ黙々とこの店の主人が握った寿司を食べるしかないのだ。ここが好みの分かれるところだが、ぼくも承太郎も割とこのシステムが気に入っている。何が出てくるかわからないが、その道のプロがお客に今一番食べてもらいたい、と思って握ったお寿司なのでどれもおいしいのだ。

 ぼく達はちびちびと日本酒を飲みながら、黄金色に輝く数の子だとか、こりこりしたツブ貝、宝石みたいにきらきら輝くいくらを一つ一つ目で楽しみ、舌で味わいつつ食べた。色も香りも見た目も完璧なそれは、ネタと米と酢とワサビの味が見事に調和して口の中でとろけるのだった。

「おいしいね」

 と隣の恋人に話しかけると、寡黙な彼は声を出さずにこくりと頷いた。アルコールのせいか、それとも先ほどまでの寒さのせいか、その頬と耳がじんわり赤い。ぼくはその美しい紅色に目を奪われ、無性に彼と抱き合いたいと思った。ぼくも相当酔っているのかもしれない。

 張り詰めた承太郎の太腿にそっと手を乗せ、彼の耳元で甘えるように名前を呼んだ。承太郎はすぐにぼくの意図するところを理解し、興奮しているのか、と小さく笑った。

「帰ったら体力を使うからな、今のうちにちゃんと食べとけ」

 そう言って恋人は楽しそうに口角をあげ、ぼくの髪をくしゃくしゃと掻きまわした。

 

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