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~空条貞夫の演奏会を聴きに行く承花~

 

 

パチパチパチ、と鳴り止まぬ拍手の中で、自身も盛んに喝采を送りながら、花京院が興奮ぎみにおれに話しかけてきた。

 

「承太郎、ぼく感動したよ。素晴らしかったね、君のお父さんの演奏」

 

すごいなあ、と感心しきりの花京院の頬が、照明の抑えられた室内でも容易にわかるほど、薔薇色に上気している。
それを見て、何故だかおれの胸はちくりと痛んだ。

 

「ジャズの生演奏なんて、ぼく生まれて初めて聞いたなあ」

 

誘ってくれてありがとう、と笑う花京院の横顔を見ながら、おれは自分が実の父親に嫉妬しているのだと気づいた。
花京院の菫色の瞳は、他の誰でもなくただおれだけを見つめていればいい。
随分と子供じみた乱暴な感情が湧きあがり、抑えられない。

 

「どうする?君、楽屋に会いに行くのかい」

 

と首を傾げて尋ねる花京院を、強く抱き締め、おれは素早く唇を奪った。
薄いくせにふにゃりと柔らかいその感触に身震いがする。
ほんの少し開いた口の隙間に舌を差し込み、歯列をなぞり、彼の舌を吸う。
じわりと甘い彼の味に、脳内麻薬がどっとあふれ出る。

途端、茹で蛸のように顔を真っ赤にした花京院が、おれの胸を押し退けた。

 

「ちょ、ちょっと、何するんだいっ」
「おまえが、親父の話ばっかりするからだぜ…どうせ誰も見てねえ」

 

客は皆、アンコールに応え、再びステージにあがったおれの父親に気をとられている。

 

「君の、お父さんが、こっち、見てるだろっ」

 

焦ったように早口に捲し立てる恋人に、なるほどそりゃあそうだな、とおれは納得した。
こちらからステージがよく見えるように、ステージからも意外と客席は見えるものだ。
女性客が多い会場で、図体のでかい男二人が並んで座っているのは、とても目立つことだろう。

 

「いいじゃあねえか、どうせ後で紹介するんだ」

 

楽屋にはおめえも来てもらうぜ、恋人としてな、と真っ赤な耳に囁けば、花京院はわなわなと口を戦慄かせたあとに、

 

「もう、ぼくの恋人は、勝手なんだから…」

 

と言いつつも、甘えるようにこてんとおれの肩に頭を預けてきた。
アンコールの曲は、花京院の好きな歌手のラブソングをジャズ風にアレンジしたもので、おれは隣の恋人の手を握りながら、その旋律に耳を傾けた。

 

 


~ショタ院とピアノの話~

 

 

拍手の音で思い出す一番古い記憶は、小学一年生のときのピアノの発表会だ。

緊張しいのぼくがなぜ発表会に出たかというと、コンサートホールみたいな大きな会場なら、ぼくの友達を、ハイエロファントグリーンを見ることができる人が、一人くらい居るかもしれないと考えたからだ。


スポットライトの眩しい中で人前に立つことよりも、難しい曲を間違いなく弾けるかということよりも、ぼくは本当のぼくを見つけてくれる人が、いるかどうかということを心配していた。

ドキドキしながらぼくがハイエロファントと一緒に、ステージにあがってお辞儀をしても、驚いた声をあげる人はいなかった。


でもその時のぼくは、テレビの中のヒーローのように特別な力を持っている人というのは、普段はその能力を隠しているのだ、きっと演奏が終わったら、ぼくの所にこっそり会いに来てくれるのだと思っていた。

しかしぼくが曲を弾き終えても、ぼくの所には誰も訪ねてこなかった。

 

がっかりしたぼくは、けれどもとても素晴らしいアイディアを思い付いた。
そのときのぼくは手が小さくて、全然オクターブに届かなかったけれど、ハイエロファントの手を使えば、簡単だと気づいたのだ。
どんなに複雑な曲も、目一杯手を広げないと出せない和音も、手が四つあればきれいに弾ける。
一人で連弾することだってできる。

 

ぼくは2回目の発表会で、大人もびっくりするような難しい曲を弾きこなした。
会場の拍手はいつまでも鳴りやまなかった。

 

だけと演奏が終わってぼくの所に来たのは、超能力者なんかじゃあなくって、音楽学校の先生だった。
白髪混じりのその人は、

 

「君には才能がある。君の手は普通の人とは違う不思議な動きをしているけれど、私の所にくれば、ちゃあんとした型を教えてあげる」

 

と言った。

 

ぼくはハイエロファントが見えない人に、ちゃあんとした型なんか教えてほしくなかった。
7歳のぼくは、このままピアノを続けても、理解者など現れないのだと気づいてしまった。
それならば、ぼくの望みはハイエロファントと楽しくピアノを弾きたい、ということだけだ。

 

ぼくはピアノを習うことをすぐやめてしまった。
ぼくとハイエロで、誰に指図されるでもなく好きな曲を弾くことは、ただ純粋に楽しかった。
友達もいないぼくが、一人で連弾曲を弾いていることを母親に不審がられるまで、ぼくはピアノが趣味だった。

 

ところで、ぼくの恋人はジャズミュージシャンの息子である。
この話をしたら、彼はぼくをグランドピアノの前に連れてきた。

 

「四人で連弾しようぜ」

 

向い合わせの二台のピアノからは、8つの手が奏でる美しい旋律が流れ、ぼくは恋人の優しさにそっと目を潤ませたのだった。

 

 

 

~拍手を打つ承花~
 

 

ぱん、ぱんと拍手を打つ承太郎を、ぼくはちらりと盗み見る。
彼の参拝の所作は、見惚れるほどに美しい。
こういう何気ない仕草の一つ一つに、育ちの良さが出るのだなあ、とぼくは思う。

長い睫毛を伏せ、熱心に祈る承太郎の横で、ぼくはいつも決まりきった願い事を頭に浮かべる。


良いことがいっぱいありますように。
悪いことが起こりませんように。
承太郎といつまでも一緒にいられますように。

 

そして、最後の一つはいつも同じ。
承太郎の願い事が叶いますように。

 

彼が毎回、ぼくの隣で真剣に拝んでいるものだから、

 

「承太郎は、いつも何をお祈りしているんだい」

 

と前に尋ねたことがあったけれど、願い事は口にしてしまうと叶わなくなってしまうから、と彼は頑なに教えてくれなかった。


ぼくはその時彼みたいな、自分の力で何でも叶えてしまいそうなスーパースターでも、神様にお願いすることなんてあるんだなあ、意外と信心深いんだなあ、なんてしみじみ思ったものだ。
まあでもちょっとした秘密がある方が、甘いだけの関係よりスパイスがあって、ぼくは好きだ。

 

承太郎が何を願っているのか、ぼくにはわからないけれど、彼の祈りが神様に通じるといい。
そうして、彼の願いがかなったその時には、彼がその秘密をぼくに教えてくれればいい、と思うのだった。

 

 

 

ぱんぱん、と大きな乾いた音をたて、おれは祈る。

あの50日の旅の後、腹の怪我で入院した花京院を見舞うたび、病院の近くにある神社に通っていたら、随分と参拝の仕方が身に染み付いてしまった。


それまで、神や仏に何かを祈ることなど全くなかったおれが、何をそんなに熱心に祈っていたかというと、もちろん花京院のことである。


内容はいつもこうだ。

花京院が健康で長生きして、ずっとおれの隣にいてくれますように。

 

あの旅を経験するまで、17のガキだったおれは、世の中の全てのことが上手くいくと思っていた。
怖いものなど一つもなかったし、自分一人でなんでもできると驕っていた。

しかし、現実は違った。

 

DIOとの戦いで負傷した花京院が回復するまでの間、おれは自分の愚かさと、幼稚さをひたすらに呪っていた。
体に何本もの管と機械を繋げられ、力ない呼吸を繰り返す花京院の横で、おれは気が付いたのだ。
今までの何気ない日常が、いかに多くの幸運と偶然で成り立っていたか。

 

その時おれは決心した。
もう二度とこの手を離さない。
強い男になって、こいつを守ってやる。

 

だが、時折こうやって祈ることだけは、許してほしい。
年を重ね、自分の力だけではどうしようもないこともある、ということを理解してしまった、哀れなおれを許してほしい。

 

おれの隣で何事かを祈っている花京院も、このささやかで幸せな日常が続くことを、おれと同じように願っていてくれたらいいと思う。

帰るか、と彼のほっそりとした手を取って、おれたちは鳥居をくぐり抜けた。
 

 

 

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